POTTO

15人のブログとPOTTOコレクション制作日誌

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3度めまして

美術館に背を向け(背を向けられ)、彼の情熱を共有する少数の画廊と出版社だけを道連れに、この孤独な長距離走者は、人生を制作に捧げてきた。
小さな業界サークルの一員となり、美術大学に職を得て制作場所と経費を確保してもらうかわりに、彼は山奥のアトリエに自らを閉じ込めた。そして「展覧会」という名の社交と営業に精を出すかわりに、旅に出た。
名刺も、愛想笑いもそこには必要なかった。ペンとスケッチブックと、小さなカメラがあればよかった。

        旅の記憶 都築響一(2006、11、ユリイカ)


大竹伸朗のこと

  • 2010年08月27日(金)15時39分

二度めまして

「こういう場違いなエネルギーというか、周囲から爪弾きにされた情熱というのが、僕はいちばん好きだ。宮沢賢治は「誉められもせず、苦にもされ」ない人になりたいと言ったが、誉められないどころか苦にばかりされながら、自分だけに見えている「オレサマ道」をひた走って後ろを振り返らない、こういう人たちに出会えるからこそ、このどうしようもなくクズな世の中を、なんとか生き延びてみようかという気持ちに僕はなれる」(都築響一「地球のはぐれ方」)

都築響一 好きです。

  • 2010年08月26日(木)02時33分

はじめまして

どうもどうも。ホスィです。

「僕はジャーナリストだ。アーティストじゃない。ジャーナリストの仕事とは、最前線にいつづけることだ。そして戦争の最前線が大統領執務室ではなく泥にまみれた大地にあるように、アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリがからみあうストリートにある。ほんとうに新しいなにかに出会ったとき、人はすぐさまそれを美しいとか、優れているとか評価できはしない。最高なのか最低なのか判断できないけれど、こころの内側を逆撫でされたような、いても立ってもいられない気持ちにさせられる、なにか。評論家が司令部で戦況を読み解く人間だとしたら、ジャーナリストは泥まみれになりながら、そんな「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」に突っ込んでいく一兵卒なのだろう。戦場で兵士が命を落とすように、そこでは勘違いしたジャーナリストが仕事生命を危険にさらす。でも解釈を許さない生のリアリティは、最前線にしかありえない。そして日本の最前線=ストリートはつねに発情しているのだし、発情する日本のストリートは「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」だらけだ。この展覧会の主役は彼ら、名もないストリートの作り手たちだ。文化的なメディアからはいっさい黙殺されつづけてきた、路傍の天才たちだ。自分たちはアートを作ってるなんて、まったく思ってない彼らのクリエイティヴィティの純度が、いまや美術館を飾るアーティストの「作品」よりもはるかに、僕らの眼とこころに突き刺さってくるのは、どういうことなのだろう。アートじゃないはずのものが、はるかにアーティスティックに見えてしまうのは、なぜなんだろう。僕の写真、僕の本はそんな彼らを記録し、後の世に伝える道具に過ぎない。これからお目にかける写真がどう撮られたかではなく、なにが写っているかを見ていただけたら幸いである。」(都築響一「僕はジャーナリストだ。アーティストじゃない」)

都築響一 好きです

  • 2010年08月26日(木)02時28分